No logic, no responsibility

他者との関わりにおいて、つまりコミュニティーにおいては、自分の行った行為には、自分だけわかる曖昧な感覚ではなく、相手を納得させられるような論理で説明ができなければならない。国際的であれば尚更である。それができないことを no responsibility = 無責任という。ときおり無責任な対応を見るが、それを行う者は傲慢か無能のどちらか、あるいは両方である。いずれかがはっきりしない前段階として怠惰をおいてもいい。

  行動はなにがしかの論理に基づいているはずで、自分の行動について問われれば、その論理が理解されるように応えなければならない。応答した内容で相手や第三者が理解・納得するかどうか、考えていないようなら無能であり、説明を厭うなら傲慢である。無能には寛容になれるが、傲慢はやっかいである。なぜなら無能は諭すことができるが、傲慢は諭されることを拒否する性質であるからだ。碌な論理がたてられないなら、せめて謙虚であれ。