白か黒か、ではない

つづき。ウィキメディアには「善意にとる」というガイドラインがある。見いださなくて良い悪意を見いだすな、ということだ。「好みだから」と「自分のやりかたでいくから」をこのガイドラインに従って考えてみる。たぶん、ちょっと画像が大きいな、こうした方がいいんじゃない?というような軽い気持ちだったんじゃないだろうか。それがリバートされて質問されたものだから、カチンときたのかびっくりしたのか、上記のような合理性を欠き、硬直した返答になった。最初の答えとしては、ちょっと画像が大きすぎなんじゃない?などと応えればそれでひとまず議論がかみ合ったはずなんだ。それが能力のせいか、感情に支配されたせいか、強いバイアスのせいか、言語化できなかった。そして修正を続けることが問題とも思っていなかったので、提案を無視して「自分のやりかたでいくから」と応えた。これはぜんぶ憶測。

  日本文化では曖昧が好まれる、なんてよくいう。そうであるところもあるし、実はそうでない部分もある。例えば宴会で「'''とりあえず'''瓶ビール5本'''くらい'''」とか、「ひどい風邪で3日'''ほど'''休みました」とか、敢えてぼかす。あと空気を読んで察する、なんていうのも曖昧な文化だ。はっきりものを言わないので、外国人はときとして疑心暗鬼になるらしい。実生活でそういうコメントを聴くことがある。にこにこしていて裏では何を考えているのかわからなくてフラストレーションを感じるんだそうだ。こういう以心伝心は便利だけど、日本文化内でしか通用しないところが大きい。

  他方、白か黒か、非常に極端に振れる部分もある。例えば、政治。内閣ができると最初は期待で持ち上げる。なんかちょっとだめだと思ったらこき下ろす。白か黒か。良いところを認め、悪いところを修正しようとすることができない。部分部分で判断ができない。これは文化として成熟していない面だと思う。こういう文化の違いでは、どっちが絶対的に正しいとかは言わない。でも、実際のところ他人は自分じゃない。いわなきゃわからないでしょ。社会でもホウレンソウってのがある。相談連絡報告。順番は逆だけど。

  で、白か黒か。自分の意見が通らなかったら、いっさい手を引く。jawpでもときどき見る行為だ。潔い?No, no, I think not. 議論の末だったらいいよ。議論して納得して、相手の方が良い意見だったから手を引くなら、潔い。でもそうじゃなかった。おもちゃが自分のものにならなかったから癇癪をおこした子供のようだった。eGはそれって、すごく問題だ、と思った。なぜって、こういうメンタリティなら、また同じことをするからだ。そして謝罪も撤回もしない、と拒絶する。誰も謝罪や撤回なんてもちだしてないのに。議論の先に謝罪や撤回を見いだすのはどういうことか?まず勝ち負けにこだわっている。そして建設的に考えることができてない。議論の先にある者は合意であって、謝罪とかじゃない。